崔 紗華

私は、学部の頃から人の移動にかかわる問題に関心を抱いてきました。学部3年の頃に、憲法学を専門とする恩師に出会い、知れば知るほど疑問が増える学問の深さに魅了され、研究の道に進みました。大学院からは専攻を国際関係史に変えました。既存の学説や判例など、条文を解釈するという枠の中で思考する法学では、外国籍住民の問題を捉えることに限界を感じたからです。多様な考えや意見がいかに一つの条文や政策に収斂したのか、そのプロセスにより強い関心を抱きました。博士論文では、朝鮮学校が日本の公教育の枠外におかれるプロセスについて考察しました。国家やエリートを中心に描くのが国際関係史の特徴ですが、近年は移民や難民など個人を政治的主体として再構成することも重視されており、既存の枠を超えた多角的な分析が不可欠とされています。多角的な分析は、新たな発見につながり、またその発見が「当たり前」だと思ってきた様々な物事を捉え直すことにつながります。教育文化学科が大事にしている多文化共生は、まさに「当たり前」を問い直すことから始まります。皆さんも、教育文化学科で「当たり前」を問い直す面白みに触れてみませんか。

兒島明

大学生だった頃、教育といえば学校しか思い浮かびませんでした。学校が好きでなかった私は、できるだけ学校にかかわる世界から離れようと、卒業後は一般企業に勤めました。その後の紆余曲折を経て、現在は大学で教育社会学を専門とし、研究と教育に携わっています。あれだけ離れたかった「教育」を自らの職業とし、研究対象にしているわけです。分岐点となったのは、大学院生時代に経験したトロントへの交換留学でした。ルーツを異にする多くの移民と出会い、ともに学び、子育て支援の現場に足を運んだ経験は、国境を越える移動のなかで人が育ち、学び、人生を形成していくとはどういうことかという魅力的な問いを、私に与えてくれました。それは、教育という営みがもつ広さと深さに、私自身が出会い直す経験でした。それ以来、私は、「人の移動と教育」を主要なテーマに据えて研究を進めています。日本社会を生きる移民の子どもたちの教育課題を追いながら、すべての子どもが成長を阻害されることのない社会のあり方を問い続けています。

越水雄二

日本近現代史を学ぼうと大学へ入った私ですが、入学前には思いもしなかった、恩師や書物との出会いを通じて、西洋史を専攻しました。フランス啓蒙思想の時代から革命期にかけての歴史を捉えるには教育に注目するのが面白いと考えたのが、卒業論文から現在まで続く私の研究の出発点です。学部を卒業して出版社で約一年半働いた後、大学院で教育史の勉強を本格的に始めました。今、個人で行っている研究課題は、「1720年代から1820年代フランスにおける市民教育論の形成に関する研究」です。並行して、「言語教育における地域語・国語・国際語の関係性に関する比較史的研究」というテーマで、日本教育史と中東地域研究の専門家との共同研究も進めています。私の専門はフランス教育史ですが、ゼミ生の皆さんには、卒業論文で取り組むテーマを、フランスに限定せず、広くヨーロッパ各地の教育文化に目を向けて、各自の興味関心から自由に設定してもらっています。

中川吉晴

私は教育思想と哲学を学び、人間性心理学やトランスパーソナル心理学にも惹かれ、人間の自己成長の可能性に関心を抱いていました。それらを包括的に研究することのできるホリスティック教育に出会い、それを自分の研究領域にしました。その後カナダのトロント大学で博士論文に取り組んだとき、東洋思想をもとにしてホリスティック教育について考えました。帰国後も東洋思想をとりあげ、人間形成、臨床教育、観想教育といったテーマについて考察しています。ただし私自身は仏教やヒンドゥー教といった特定の宗教的文化を専門にしているわけではなく、「永遠の哲学」の観点から世界の英知の伝統を吟味し、それを現代人の生活と教育に活かしていくことを目指しています。大学の講義では、生涯教育計画論やアジア教育文化論といった科目を担当し、ホリスティック教育の実習も担当しています。

奥井遼

教育学の「わざ研究」を発展させようと、哲学(現象学)や人類学の研究をしています。淡路島の人形浄瑠璃に関する研究で学位を取得し、フランスで3年間在外研究をしました。能、人形浄瑠璃、修験道など国内のフィールドに加えて、最近は現代サーカスや現代人形劇、アーティスト養成学校、職人養成システムなど国外にも研究領域を広げています。
工芸、アート、スポーツなどの領域には、学校の教室の中には見られない、学ぶことや教えることの原石がたくさん転がっています。それらを拾い集め、磨き、それぞれの現場が目指している「人間形成」の結晶を見つけることを目指しています。皆さんも五感をフルに駆使して面白いものを見つけてみませんか。

Billy Stevenson

若い頃から冒険が好きでした。「ベッド生まれ、テント育ち」と表現できるくらい、夏も冬もアウトドアに明け暮れた私が、学生時代、研究テーマに選んだのは歴史における冒険心でした。若者はどうして未知の世界・未開地に挑むのか、その精神を育成する教育は何なのか、その時代と文化の関係はどうなのか、ということを研究してきました。
また、現在はもっと広い意味で、グローバル化が教育にどのような影響を与えているか、どのように教育がグローバル化を促進しているか、さらに、これからの時代では、教育がグローバル化にどう応えるべきか、ということも学生と共に考えたり調べたりしています。
授業は英語と日本語の両方を用いながら、読書・議論・活動を中心に行っています。
みなさんの、大学生という人生の大冒険時代を真摯にサポートします。

山田礼子

山田礼子です。専門は、比較高等教育、教育社会学です。わかりにくいかもしれませんが、大学生を対象として、学生の学びの成果をどう測定するか、国によって差異があるのか等を国際比較すること、データをベースに分析することがわたくしの専門です。今はどちらかといえば、机に座ってばかりの仕事ですが、高校時代まではスポーツの方が得意というか、体を動かすことの方が得意でした。でも、今は忙しく、スポーツとは縁のない生活です。残念ですね。アメリカに8年ほど住んでいましたので、車を運転することが好きですが、最近新しい車に乗り換えたら、ずいぶん自動化になっていてまだドライブ感覚がつかめません。以前の車は自分の手足のような感覚で運転できていたのですが。。。。少し、ショックを受けています。若い学生についていけるように、精神年齢だけは若さを保つように頑張ります。

吉田亮

キリスト教文化の視点から、多文化共生社会における人間形成に関する教育・研究を担当しています。しかしながら、「アメリカ社会の主流であるキリスト教文化が米国やグローバル社会に向けて実行してきた人間形成の考察」という説明は、何とも意味不明なことでしょう。 そこで、例えば「米国大統領の就任演説」を思い浮かべてみてください。政治・経済的なコメントを聞くことが、非常に多かったのではないでしょうか? 対して、教育文化学の焦点は「人間形成」です。就任演説自体を「教育文化(人間形成する文化)」として捉え、その意義や特徴をより深く分析していきます。 分析に際し、私の場合はキリスト教文化を用います。その視点からすると、就任演説は、「キリスト教的未来観を基に、『多文化共生社会を担う米国市民・グローバル市民の形成』を意図した教育文化」として考察でき、その意義や特徴も自ずと明確になります。 以上、自身はキリスト教を苦手とする田舎牧師の息子に過ぎませんが、熱意ある学生たちのおかげで有意義な授業・演習を続けられています。同様に、これを読まれている皆さんも知性を発揮され、教育文化学に活力を与えてくれることを期待しています。

-

-